Profile
牧野俊一

牧野 俊一

衆議院議員(鹿児島1区)
生年月日
1985年(昭和60年)8月13日生まれ
出身、学歴
京都府京都市出身 / 北海道大学医学部 卒業
医療、研究実績
医師(救急・災害・山岳医療)/ 鹿児島大学大学院 博士課程(腫瘍溶解性ウイルス研究)
防衛、有事経験
予備自衛官、平成26年 御嶽山噴火災害 DMAT(災害派遣医療チーム)隊員出動
国政役職
衆議院 財務金融委員会 委員
衆議院 経済産業委員会 委員

医師、研究者、予備自衛官。そして、未知の世界に挑み続ける。

子どもの頃から、知らないことを知り、仕組みを理解し、自分の手で何かをつくることが好きでした。

北海道大学医学部を卒業後、医師として医療の現場に立ち、災害医療を経験。がん治療の研究者として先端技術の可能性と日本の研究開発が抱える壁に向き合い、予備自衛官として安全保障について考えてきました。

一方、プライベートでは地図とコンパスを手に山河を進むアドベンチャーレースに挑戦し続けています。

一見するとバラバラに見える経験ですが、すべてに共通しているのは、現場に足を運び、自分の目で確かめ、疑問を持ち、答えがなければ自分で考えること。

医療、科学技術、歴史、経済、安全保障――さまざまな分野を学び、経験する中で、「日本という国をどうすれば次の世代へより良い形で引き継げるのか」という問いにたどり着き、政治の世界へ進みました。

# 01

北海道で知った、
「人生に広がる無数の道」

京都で育ち、北海道大学に入学するまでは、受験勉強と部活動に明け暮れる毎日でした。

当時の自分には、「勉強して、大学に進学し、仕事に就いて身を立てる」以外の人生がほとんど見えていませんでした。

しかし、北海道大学に入学し、広大な北海道を自転車で旅するようになると、その価値観は大きく変わりました。

旅先で出会ったのは、学歴や一般的なキャリアとは異なる道を選びながら、それぞれの場所で生き生きと暮らす人たち。

「世の中には、こんなにたくさんの生き方があるのか」

それまで自分が見ていた世界がいかに狭かったのかを知り、大きな衝撃を受けました。

この経験は、今の私が「教育とは何か」を考える原点でもあります。

知識を覚え、正解を出すことだけが教育ではない。子どもたちが広い世界に触れ、自分自身で問いを立て、自分なりの道を見つけられるようにすることも、教育の大切な役割だと考えています。

# 02

医療と冒険で身につけた、
「現場で考え抜く力」

北海道大学医学部を卒業後、医師として働き始めました。

2014年の御嶽山噴火災害では、長野県DMAT(災害派遣医療チーム)の一員として現地に出動し、自衛隊や消防とともに救助活動にあたりました。

自然の脅威を前に、限られた情報と医療資源の中で判断し、多くの組織が連携して人命を守る。その経験は、その後の山岳医療や予備自衛官としての活動、安全保障や防災を考える原点になっています。

そして、医師として働く傍ら、長年続けてきたのがアドベンチャーレースです。

コンパスと地形図を頼りに、仲間とルートや作戦を考えながら、山や川、道なき道を何十時間も進み続けます。時には24時間以上、ほとんど眠ることなく行動することもあります。

思い通りにいかない状況で、何が問題なのかを考え、仲間と判断し、一歩ずつ前へ進む。 極限状態への挑戦を重ねる中で身についたのは、簡単に諦めないこと、状況が変われば考え直すこと、そして最後まで前に進み続けることでした。

「何があっても、アドベンチャーレースよりは寝られる」。

そんな少し変わった自信も、今では国政の仕事を続ける力になっています。

# 03

医師として「歴史」の
大切さに気づく

子どもの頃から理系科目が好きだった一方、歴史は暗記科目という印象が強く、受験勉強以上の意味をあまり感じていませんでした。

その考え方を変えたのは、医師として患者さんを診る経験でした。

人の心や生活環境が関係する問題に向き合うとき、現在の症状だけを見ても十分ではありません。

どのように育ってきたのか。
どんな経験をしてきたのか。
どんな病気や苦難を経験してきたのか。

その人の「歴史」を知らなければ、なぜ今この状態にあるのかを理解し適切な治療につなげることはできません。

国家も同じではないかと思うようになりました。

長く続いた経済停滞の中、日本社会には政治や未来に対する諦めにも似た空気があります。

「なぜ日本社会は今、このような空気になっているのか」

それを理解し、未来に向けた政策を考えるためには、日本という国がどのような歴史を歩み、どんな成功や失敗、葛藤を経験してきたのかを知らなければならない。

そう考えて改めて日本史を学び直す中で、長い歴史を持つ皇室の存在、日本の文化や伝統を次世代へ受け継ぐことの意味を考えるようになりました。

そして、世界が急速につながり均質化していく時代だからこそ、国や地域固有の文化、歴史、社会を守ることも政治の重要な役割だと考えるようになりました。

そうした問題意識を持っていた2022年、参政党と出会い、入党しました。

# 04

研究者として知った、
日本の「つくる力」の可能性と壁

子どもの頃からものづくりが好きで、高校時代には分子生物学の世界に夢中になりました。

「いつか生物学の最先端で、実際に患者さんの役に立つ技術をつくりたい」。

その思いから、2019年に鹿児島大学大学院博士課程へ進み、*腫瘍溶解性ウイルス(Oncolytic Virus)*の研究開発に取り組みました。

これは、がん細胞を攻撃するウイルスに、がんと戦う免疫を強化するための治療遺伝子を組み込み、転移巣も含めて治療しようとする研究です。

研究を通じて感じたのは、科学の面白さと可能性でした。

同時に、日本で優れた技術が生まれても、それを研究室から実際の製品や治療へ届けるまでには、資金、制度、人材、事業化など、いくつもの壁があることも実感しました。

だからこそ今、政治の立場から日本の科学技術力を底上げし、研究成果が国内外で産業として育っていく環境をつくりたいと考えています。

また、AIによって遺伝子設計までもが急速に容易になる時代だからこそ、技術を止めるのではなく、技術を発展させながら、そのリスクを適切に管理できる体制をつくることが必要です。

# 05

「なぜ同じ仕事でも
豊かさが違う?」から政治へ

学生時代、初めての海外旅行で南米のペルーとボリビアを訪れました。

当時、街の食堂では日本円にして100円程度で食事ができることもあり、日本との物価の違いに驚きました。

そこで一つの疑問を持ちました。

「定食をつくる労力そのものは、日本人でも現地の人でも大きく変わらない。それなのに、なぜこれほど仕事の価値や所得に差が生まれるのだろう?」

この疑問をきっかけに、医療や生命科学とはまったく異なるマクロ経済を学び始めました。

そしてたどり着いたのが、国家の豊かさを考えるうえで重要なのは、単なる「お金の量」ではなく、 食料、エネルギー、インフラ、医療、製造業、先端技術など、社会が必要とするモノやサービスを実際につくる力=「供給能力」 だという事実でした。

道路も、病院も、農地も、工場も、人材も、研究開発力も、一度失われれば簡単には元に戻りません。

財政支出を抑えることだけを優先し、この国の「つくる力」が弱っていけば、やがて国民の生活や健康、安全を守ることさえ難しくなる。

その危機感が、私が政治の世界へ踏み出す大きな理由になりました。

MESSAGE

現場を歩き、問い続ける
政治家でありたい

医師として、人の命と向き合う。

研究者として、まだ存在しない技術をつくる。

災害現場で、自衛隊や消防とともに活動する。

アドベンチャーレースで、地図にない道を進む。

そして、歴史や経済を学び、「なぜ日本は今こうなっているのか」を考える。

私のこれまでの人生は、一つの分野を一直線に歩いてきたものではありません。

しかし、振り返れば、いつも出発点にあったのは 「なぜ?」という好奇心でした。

分からなければ現場を見る。

専門外でも必要なら学ぶ。

答えがなければ自分で考える。

失敗しても、また前へ進む。

政治の世界でも、この姿勢を変えるつもりはありません。

技術で未来を。現場に力を。

日本が持つ力と可能性を、次の世代へつないでいくために。
これからも現場を歩き、問い続け、挑戦し続けます。

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